「1日100回腕立てをする」「1日1000メートル泳ぐ」など、人は色々な目標を立てて、そして達成できない自分を責めます。
達成の充実感を味わい、達成によって自分を成長させるのが目標を立てる意義なのに、目標を立てたことによって人は自分を傷つけ、さらにネガティブになるーー。
なんか変です。
そこには「目標の立て方はこうでなければいけない」「達成の仕方はこうでなければいけない」といった狭い見方が作用してないでしょうか。
例えば「腕立て伏せ」なら、「膝をついての腕立て伏せ2回は、膝をつかない腕立て伏せの1回分に数える」「1日100回の目標は、朝20回、昼30回、夜50回に分割して、合計100回ならオーケー」と目標を分割することも可能です。
ちなみに目標の分割の話で言えば、マラソンのトップランナーでも「あの電柱まで走れたら歩いてもいい」「あと5キロ走ったら棄権しよう」と、目標を間近に置くことで、苦しい状況を切り抜けようとするそうです。
「1日1000メートル泳ぐ」に関して言えば「水中ウォーキング300メートルはクロール100メートルに換算する」というふうに考えれば、泳いだあとは水中ウォーキング、というパターンを繰り返すことによってかえって長い距離を泳げたりします。
目標を達成するまでの時間軸にしてもそうです。人生には「いついつまでに達成できなければ、別の道を探す」という区切りを含む目標もあれば、「時間がかかってもいいから必ず達成したい」という目標もあります。その峻別をした上で、3年目標だったものを5年目標に、10年に、とするのはありだと思うのです。
話がそれるかもしれませんが、1日に何千人、何万人と人が行き交う雑踏の中から1人の指名手配犯を何度も見つけた練達の刑事さんによると、コツは「全体としてのバランス、統合性を意識する」ことだそうです。
つまりどういうことかというと、鼻の形がどうだとか、眉の細さだとかといった個々のパーツの固有性に着目するのではなく、鼻や眉、顔の輪郭など、全体としての固有性を意識しながら探すと、求めている顔、つまり指名手配犯にたどり着けるということです。
強迫性人格障害という精神疾患があります。これは目標達成の手段やルールを守ることが目的になり、肝心の目標達成が遅れ、困難になってしまう精神疾患です。ここまで行かなくても、個々の目標達成が主になってしまい、「目標達成の先には何があるのか」「結局、自分はどうなりたいのか」「自分は何が得られたら良いのか、ハッピーなのか」を見失うことは避けたいものです。
昨日と本の少しでも違う自分が得られたら、明日以降の自分は大きく買われるのではないでしょうか。肩の力を抜いた上で、自分が置かれている状況を楽観的に見つめ直せたら上出来では。と、思います。
あ、タイトルについての補足です。柔道という競技では見事な決め技一つで勝ちになることを「1本勝ち」と言いますが、細かい技で稼いだポイントがたまるとやはり「1本勝ち」になるのです。